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8月6日 広島原爆の日

 広島原爆投下の日。広島での慰霊祭に投下したアメリカの代表も参列してくれた。戦後初めて…。

 午前中、出先で「享保義民の碑」を見た。
 享保飢饉のときに、地元の藩に年貢軽減を要求し、その首謀者として村長、村役などが刑死、その歴史や魂が、顕彰されていた。

 享保の大飢饉は江戸時代の三大飢饉のひとつで、日本各地で多数の餓死者、飢餓人がでている。
 数年間つづく天候異変があり、享保17年(1732)にはイナゴも大発生し、決定的な大打撃をうけ、翌年にかけて多くの人が亡くなっている。一揆なども各所で起こった。顕彰されないままに、獄死刑死で消えていった義民も多いことだろう。瞑。
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 オニサブローは、一日一掴みの松葉を噛んで生きることができるものだ、と教えているが、『食べること、やめました』(マキノ出版)の森美智代さんは、すでに15年も1日一杯の青汁で元気に活躍されている。
 沢山に食べなくとも生きて行ける。その方が健康上いい場合だってある。

 飢饉のときに、そう言いきれるか?「食べなくても生きられる」と。
 自分だけには言い切りたい思いだ。
「佐賀のがばいばあちゃん」のように「腹が減った」という島田少年に「気のせいや」と言えるかどうか。これも自分には言って聞かせたい。
 ストレス解消のように、なにかと飲食をする傾向もあるわけで、「気のせいや」が正解なことも多い。他人に言えたことではないが…。

 農民一揆はお上への抗議である。
 上位権力から自由な、自給自足的な小さな共同体など、歴史上にはないかもしれないが、あったとしても天災にはかなわないから、飢餓的状況になることもあるだろうし、成員が餓死することもあるだろう。しかし、そこでは共同体成員が互いに励ましあう人間的な世界があると思いたい。
 飢饉の年に幕府がまっとうな対応をしていたら、一揆や義民も数を減らすことができたであろう。

 結論はないが、いろいろ思うことはある。
 唐突な連想もでてくる。
 日本の原発技術が優れている(??!)とかで原発が世界各地に輸出されはじめている。チェルノブイリ事故という教訓もあるが、作物がとれないどころか、そこに住めなくなってしまうこともでてくるのだが…。
 義民や飢饉とどうつながるか、あまり考えもしないが、義民を顕彰する地元民も、もはや居なくなるような、そんな人災が引き起こされる。松葉を噛んでも生きることが出来ない環境にもなってゆく。

 核廃絶へ、頑張らなくてはと思う。
  
 夕方、雨が降り始める。田んぼには出ず、家で雨と雷を楽しむ。西の山、雷後の夕焼け。
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さんぺい

Author:さんぺい
 毎日2時間ほど田畑にゆきたいな…

 不耕起水田で多品種の稲を育てていますが、機械なし、人力のみで、どこまで稲作ができるかの実験中でもあります。

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